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「地球交響曲(ガイアシンフォニー)」 in 広島の夏


2005年 7月24日 悲しみと試練を乗り越えて

       


   

「地球交響曲(ガイアシンフォニー)」in広島の夏、と題して開催させていただいた、2005年7月24日の第五番、第一番の同日上映は、延べ884人の方に鑑賞いただき、成功裏のうちに終了させていただくことができました。

これは私たちにとっては特別な意味を持つ自主上映会でもありました。それは、長くガイアネットワーク広島ステーションの牽引車的存在であった中島夏代さんの早過ぎる死を乗り越えて、これまでの中島さんの想いを受け継ぎ、この映画をたくさんの人に観ていただき、感動の喜びを途切れることなく伝えていきたいという私たちの想いの再出発点にもなったからです。

思えば、2004年の10月21日、「地球交響曲第5番」の広島上映会が終わり、その報告会があった日のことでした。今は亡き中島さんが、唐突に「来年は被爆60周年でもあり、夏に1200人収容のアステールプラザ大ホールでガイアの上映会をしたいのだけどどうかしら?」と、言われたことに始まります。
皆さん、寝耳に水でビックリして、何も言えない状況でした。
しかも、広島で1、2の大きな規模の会場、しかも第五番の上映会が終わったばかり・・・。

丁度ガイアネットワーク広島ステーションも10年目の節目を迎え、メンバーの中には「もう、これで一休みしたい・・・」と言っている方々もいらっしゃいましたので、これにはちょっと全員が拒否反応を示してしまったのです。

中島さんは、以前9・11の時に「ピースアート展」を一緒に主催したSさんから、ガイア上映についてのオファーを受けておられたらしく、やる気満々だったのですが、皆さんの反応を見てがっかりされた様子で「これまで、一緒にやりましょうと言われた時には、いつもみんなが率先してやりましょう!と、言ってくれたのに、時代は変わっていくのね」と言う意味のことをおっしゃっていました。
結局、皆さんからは「もう少しSさんたちの行動を見てからでも遅くない…」と言う結論に達し、これまで一緒にやってきた方々の中からも、しばらく離れたい…という表明もあり、私(太田)がSさんの意向も伺い、双方の調整を仰せつかりました。中島さんご自身はちょうど病気で入退院が始まった頃でしたので、調整は難しいという判断でした。

しかし、この時既にアステールプラザの大ホールの予約は、中島さんの手により、7月24日でなされていたのです。

しばらくして、Sさんに連絡を取り真意を聞いてみますと、「一緒にやろうと言った覚えはないし、自分の属する組織では、来年の行事を決める時に自分ひとりの意見は通らないので、当てにしてもらっては困る…」とのお返事でした。月に行う大きなイベントが終了するまでは、次の夏のイベントのことは決められないと言うことで月までお待ちすることになり、その旨を中島さんを始め、皆さんへご連絡を入れました。

そして3月になって、Sさんに再度ご連絡したところ、今回はガイアの上映会はないものと思って下さい…とのことでした。中島さんは、ずっと入院中であった頃のことです。

私は、10年間最初からずっと中島さんと一緒にガイアの自主上映会を行ってきました。途中で半年間、関係性がきつくなってやめたことがありますが、それ以降もずっと関わらせていただきました。私自身は、不謹慎にも映画のことはよく分からなかったりする部分はあり、ただ淡々とお手伝いできる部分をしてきただけなのですが、考えてみると、中島さんから頂いた人と人との繋がりの大切さや、物事をきちっと抑えていくやり方、何よりも感謝の心というものが、その時の私には、どんなにか血となり肉になっているのかが分かったのです。

「ご恩返し」、というにはちょっと違うのですが、彼女が喜んでくれるのならば、これまでのお礼を込めて、出来る限りのことがしたい…、心からそう思えたのです。
そして、皆さんに自分が中心となって今回の自主上映会を推進することを伝え、中島さんにもFAXを流し、7・24は始まりました。

2005年3月9日の第1回目の打合せには、私と、最初から一緒にやりますと言ってくださった中本さん、ヨガの先生である中條さんから「ボランティアをしてみたら?」といわれてきた新人の鍵本さん、私を心配して駆けつけてくださり、まさか最後まで手伝おうとは夢にも思わなかった松本さん、そしてノウハウを聞くために連絡をして、お忙しいところを来ていただいた友川さんの計5人でした。
中本さんは、4月17日に呉でガイア第5番の上映会を予定されていて、それとの掛け持ちでしたね。
この打合せで、大体のことを決めたのですが、あまりの陣容に松本さんが次回打ち合わせに文書を作れる助っ人として小田さんを呼んでくださいました。3回目からは、神田さんがそれまでの会計担当として出てきてくださいました。
これでメンバーはやっと7名、赤字を覚悟しての出発でした。


このように危うい立ち上がりの今回の上映会の準備だったので、5月15日、中島さんが急逝された時にはどうしたらよいのか分からなくなりましたが、チラシもチケットも出来上がっていたので、逆にこの上映会をきちんとしなければ…という思いに、助けられました。
思えば、ショックから早く立ち直らせるために、見えない大きな意思にやらされたのかもしれません。
お蔭さまで悲しむ暇もなく、作業は山のようにありました。

チラシ、チケット製作のほかに、後援団体への企画書提出、カラーチラシ、ポスターの依頼、販売するパンフレット、CD、ポストカード等の手配、知人、友人へのチケット預かりのお願い、プレイガイドとの交渉、会場との打ち合わせ、当日ボランティアスタッフのお願い、情報誌や新聞社への記事掲載のお願い・・・これらを毎週一回メンバーが集まる準備会でひとつひとつクリアしていきました。

また、当日が近づくにつれて思いもしなかったシンクロニシティ(偶然の一致)も次々と現れました。
龍村監督が当日手弁当で駆けつけてくださり講演をいただくことになったり、新しいメンバーとして上田さんや土橋さん、宇城さんの参加も得ました。以前からのメンバー、寒川さんからも強力な支援をいただきました。


そういえば、チラシを置かせていただくお願いに飛び込んだ美術ギャラリーでは、たまたま展覧会を開かれていた作家さんの作品テーマが「ガイア」に関連するもので、熱烈なガイアファンであることがわかって、チケットを買っていただくという、偶然の一致というよりは、奇跡に近い驚きの出会いもありました。

また別のギャラリーでは、歩き疲れて休憩のコーヒータイムをしていた私たちの隣の席に座られていた紳士が、私たちの話を小耳にはさまれ、「以前から観たかった映画なんです!」と言ってその場でチケットを買っていただいたりと、信じられないような出会いもありました。(この紳士、Yさんは今では私たちの「お茶のみ」友達になってくださいました。)

地元のテレビ局、RCCからの取材申し込みも意外な出来事でした。この取材では龍村監督のインタビューを中心に、上映会後ではありましたが、15分の長さで地球交響曲とガイアネットワークを夕方のワイド番組「イブニング・フォ〜」の「あの人に会いたい」コーナーで紹介していただくことができました。

このような驚きと喜びが次々と現れる中で、本番一週間前になってもチケット販売実績は200枚強しか確認できていなかったにもかかわらず、私が「だいじょうぶ!勝負は最後の一週間よ!」と宣言できたのも、メンバーの皆さんの踏ん張りと明るさに助けられ、手応えを感じていたからでしょう。

また当日は、昔からのメンバーの皆さんが会場に駆けつけて、当然のようにお手伝いくださり、本当に不思議な嬉しい展開を体験させていただきました。

今回の上映会を終えて、いま私は感じています。
何かを決めてやろうと想うことには、しっかりとサポートがつきます。良い人材と良いシンクロと、良いめぐり合わせ…です。
これを、またまた確認させていただきました。

ご来場いただいた観客の皆さま、龍村監督、当日ボランティアスタッフとしてお手伝いいただいた皆さま、今回の上映会実行メンバーの皆さま、そして、今回の上映会に係わったすべてのことに感謝申し上げます。

(太田記

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