星野道夫さん 没後10年 Memorial Year 「地球交響曲(ガイアシンフォニー)第三番」 上映と 星野道夫さんを見て、読んで、心で感じる日 |
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お詫び
今回の上映会におきましては、映像がまだ続いているにもかかわらず、終演と勘違いしたスタッフにより会場の扉を開けてしまったことにより外光が会場に入ってしまうという不手際があり、ご迷惑をおかけしました。
誠に申し訳ございませんでした。
わたくし自身の経験からも、ガイアシンフォニーにおいては上映が終わった直後の、感動によって動けないかのような一瞬の静けさを、たくさんの皆さんと共有できるところに、自宅でのDVD鑑賞とは異なった意義があるのではないかと感じています。
その意味からも今回の不手際を申し訳なく思い、反省しております。今後はこのようなことのないようにスタッフ間の連携をしてまいります。
〜始まりの夏〜
このストーリーは2005年7月24日の第一番、第五番同時上映会の日から始まりました。
長くガイアネットワーク広島ステーションの中心的存在だった中島夏代さんが生前に予約された会場での、いわば追悼上映会となった会場に講演のために駆けつけてくださった龍村 仁監督と楽屋でお話しする機会がありました。
そのとき、頭の中で漠然と考えていた「星野さんが亡くなって10年の節目に、第三番を上映したい」という想いを、つい口に出してしまったのです。
監督は、来年はいよいよナイノア・トンプソンが日本にやってくるという情報もあるし、「ぜひおやんなさい!」と励まして私の手を握ってくださいました。
そのときはナイノア・トンプソンの来日に合せて上映会ができたら素晴らしいなぁ・・・という程度の漠然とした想いでしかありませんでした。
〜星野道夫さんとガイアシンフォニーへの想い〜
今回の上映会リーダーをさせていただいた私と星野道夫さんの関係は、いえ、関係なんてもともと無いのですが、ある日、ふと書店の平台に積んであった小学館文庫版の「アラスカ・風のような物語」に目が留まり、手にしたときから始まりました。
自分を導いてくれる偶然とはあるものです。
その文庫本の写真と文章で表現された「自然」と「いのち」への想いが、透き通った風のように私の胸の中に吹き込んできたのです。それ以来、星野さんの遺された言葉を追いかけ、自分が生きていくうえでの針路を示してくれる羅針盤のようになっていきました。
その、星野さんを追いかける心の旅の途上でガイアシンフォニーという映画に出会い、私も世の中の役立つ何かをしたい、という思いで参加させていただいたのがガイアネットワーク広島ステーションであり、2005年7月24日はボランティアとしてのデビュー活動でした。
日常生活の私は、どこにでもいる、普通のサラリーマンとして経済活動に明け暮れています。
まだ十分使えるのにリース期間満了というだけで大量に廃棄される機械たち。毎日、眼で確認するためだけに大量に印刷され廃棄されていく、樹木を砕いて作られた紙たち。それらを横目で見ているしかない自分の無力さが腹立たしくもあり、どこか「居心地の悪さ」を感じていました。
そんな中で、ガイアシンフォニーは「世界を変えようと思うなら、まず自分たち普通の人たち一人ひとりが変わるべきだ。自分のできることから始めよう」と教えてくれました。
第一番のラインホルト・メスナー、第二番のジェーン・グドール、第三番のナイノア・トンプソン、それぞれが同じ思いを語っています。
自分でも今できること、それは星野道夫さんを主として描いた第三番の上映であり、そのことによって星野さんの言葉を一人でも多くの人にご紹介していきたいということでした。
〜エンドロール大作戦〜
さて、頭の中で描いた理想は高かったのですが、なかなか行動に移せないでいるままに年が明け、3月になっていました。
ナイノア・トンプソン来日のニュースはまだありません。来日に合せられたら「カッコイイ」という思いが決断を鈍らせていたのかもしれません。しかし、会場予約だけでもしなさい、さもなければ夏の上映会には間に合わないわよ、というメンバーの声に後押しされて、広島市のアステールプラザ中ホールの7月21日を仮予約しました。
その時にはまだ会場が1年前から予約で一杯になるほどの過密スケジュールだなんて、露ほども知らなかったイベント初心者でした。たまたま「海の日」の祝日であったことで、エアポケットのように会場予約が空いていたのかもしれません。
第一回の打合せに最初から集まっていただいた実行委員のメンバーは私を入れて6名。去年と同じくらいの人数だったので、こんなものだろうという感覚でした。(実はぜんぜん足りなかったことをあとで知るのですが)
初ミーティングではまず日程の確認から入りました。
既に3月下旬、7月21日では準備期間が足りないとの先輩諸氏の助言で、別の日を模索しました。
しかし、空いていたのは8月もお盆過ぎてから最初の日曜日の8月20日。お盆の帰省などを考えると集客が難しいかもしれないという危惧があり、ベストの選択ではないような気がしましたが、星野さん没後10年を考えると、なんとか夏の間に開催したいという思いでこの日に決めました。
この時点ではまだメンバーのやろうという意思は、ホワホワの綿菓子のようだったかもしれません。
しかし、会計を担当してくださっているメンバーの神田さんが、預金通帳を見ながらふと漏らした言葉、「あと7万円あれば製作中の第六番の制作費に特別協賛で協力できるな・・・」で一挙にやろう!という機運が盛り上がりました。
これまで10年以上活動してきたガイアネットワーク広島ステーションで少しずつ積み貯めた準備金が43万円まで達していたのです。
これに今回の上映会で少しの余剰金を出し、足すことで、第六番の制作費に使っていただき、エンドロールに名前も入れていただけたら・・・
別名「エンドロール大作戦」はこのとき始まりました。
さて具体的な準備を始めてみると、なんだかメンバーの様子が変なことに気づきました。
私にはそのとき自主上映会はネットワークの「みんなで」やるものだろうという先入観念があり、みんなの合意のもとに準備を進めるものだと思っていました。
しかし、ミーティングでは「フィルムの手配はしたの?」「チラシの原稿はできたの?」と矢継ぎ早の詰問調。どうやら自分に矛先が向いています。それでも鈍感な自分は、まだ自主上映会はみんなの総意の下でやるものだと思い込んでいました。
4回目くらいのミーティングでのこと。予定していた日に仕事が入り、ミーティング日程を数日ずらしていただき開催しました。しかも、当日までに決めておかなければならなかった事項も未解決のままでした。
その席上、みんなの非難が自分に集中しました。
「こんなんじゃできない!」「赤字が出たらかぶる覚悟はできているの?!」
なかでも最初から積極的に支援を申し出てくださっていたTさんの、「ツチハシさん、これは会社の会議といっしょです。会社の会議では資料をキチンと準備して当日に備えるでしょ。なぜそれができないの?」という意見。
これは心にズシリとこたえました。いままで会社人間を背負ってきただけに、そこを突かれると痛かったのです。
そこで初めて根本的な質問をしてみました。「自分としては初心者でもあるし、出しゃばってしまうより、みなさんのやり方に従ったほうが良いと思っていたのですが・・・自主上映会って、言いだしっぺがやるものなんですか?」
これには旧来からのメンバーが面食らったようです。
以前からの経験者は、あ・うんの呼吸で、言いだしっぺの人を中心にして、その人を「支援」していくという活動スタイルが身についていたのでしょうが、何もかもが初めての私にはそこが理解できていませんでした。
そのボタンの掛け違いがここに至るまでの何回かのミーティングでの違和感だったことが初めて理解できたのでした。
そのことが理解できてからは、自分でやらなければ周囲も動かないと、可能な限り自分の頭で準備を進めました。
公的機関のからの後援のとりつけ、チラシ作りと配布、フィルムや販売品、展示写真の手配、雑誌や新聞、マスコミへの掲載依頼、DMの発送、やるべきことは山ほどあります。
先輩たちに聞き、お手伝いいただきながらの準備でしたが、自分の仕事や私生活での雑事に追われて後手後手に廻り、準備は遅々として進みません。
「こんなスローな準備じゃ、上映会当日になってやっぱり少なかったね、という結果に終わるのかなぁ・・・」そんな声も聞こえてきて、やろう、という気持ちも萎えそうになったこともありました。
でも、途中で投げ出せなかったのは、「観たかったんですよ」と声をかけて第一号のチケットを買っていただいた、広島女学院高校での第五番上映会場のご婦人を皮切りに、電車や車で2時間も3時間もかかる遠隔地からインターネットで見たので、と言って電話予約を下さった何人もの皆さんの熱い期待を直接感じていたからでした。
私の中でどうしても来場の皆さまに見ていただきたかった写真展示も、スムーズに準備は進みませんでした。
星野さんの没後10年の節目とあって全国でいくつものイベントが計画され、私がお願いした写真借用への返事は1ヶ月以上も回答をいただけない状態でした。
なかでも、NHKが企画した「星のような物語」の番組と全国を巡回予定の写真展は、たぶん、興行権のような問題もあって「写真展」としては開催不可能とのことでした。
あきらめかけていたところ、上映会会場での貸し出し用の写真パネルなら貸していただけると、奥様の星野直子さんからお手紙をいただき、もちろん、すぐにお借りすることにしました。
どうやら最初に「映画上映と写真展」としてお願いをしたことで判断を迷わせてしまったのかもしれません。
こちらの想いだけで行動してはいけないと反省させられた準備の一コマです。
7月も過ぎ、8月に入る頃になると問い合わせの電話も増え、いよいよだな、と感じることができましたが、チケット販売は思うように伸びません。
以前からの支援者に上映主旨と周囲の方へのチケット販売をFAXでお願いしたりしましたが、反応はまったくと言ってよいほどありませんでした。まるで私の弱気を知っているかのようです。
開催10日前になってもチケット販売の確認ができたのは、150枚少々。
しかし、たとえ入場者は少なくても料金を払って入場いただく皆さまにいい加減なことはできないと、設営準備だけは進めていきました。
そんな、諦めムードも少し漂う中でも明るい連絡もいただきました。
昨年の上映会でも夕方の情報番組の中で15分もの枠で取材映像を流していただいた広島の地元TV局 RCCのSさんから、お盆明け直前のニュース番組の中で紹介したいので、明日取材と放送をさせていただけないかとのお申し出をいただきました
実は昨年のツテを頼って、今年も番組で紹介いただけないかお願いしてあったのです。日にちも迫って、もうダメかなと諦めかけていた時だったので、飛び上がらんばかりの喜びでした。
それからは展示用の写真を翌日までに届けていただいたり、絵になるようにメンバーに集まっていただいたりとおおわらわ。
結局、平日の昼間の取材だったこともあり、仕事場を抜け出した私と高井さん、中本さんの3名だけで取材していただきました。
カメラの前では舞い上がってしまい、何を言ったかわかりませんでしたが、放送された番組を見ると、さすがにプロのお仕事。取材から3時間の短さで編集されたとは思えない、見事な内容になっていて、メンバー一同、感激すると同時に、RCCさん、そしてSさんに感謝の気持ちでいっぱいになりました。
上映4日前のその出来事からムードは一変しました。
翌日には中国新聞の片隅に載せていただいたこともあって、朝から問い合わせの電話が続き、「もしかしたらいけるかも・・・」という感触に変わっていったのです。
それでも上映会3日前の最終ミーティングでのチケットカウントでも200枚に達していませんでしたので、最高でも 300人の方に入っていただけるのかな、という願いにも似た心境で最後のミーティングを終えたのでした。
実はこの300人という入場者数は、会場費や経費を差し引くと、すれすれで赤字という値だったのです。
「大丈夫、成功すると信じていればきっと叶うから」というメンバーの声にすがりたい気持ちと、どこかで諦めなきゃ、という気持ちがないまぜの帰り道でした。
〜ガイアの奇跡、ふたたび〜
いよいよ当日。受付から託児まで、22名のボランティアスタッフが午前11時に勢揃いしました。
この中には当日だけお手伝いただける昔からのメンバーの方、今回初めてスタッフに入っていただいた方、さまざまでしたが、みんなテキパキと持ち場を固めてくれました。
私は写真展示の準備もあって、とても会場の外を見る余裕もなく、予定より早い12時45分の開場を目指して大汗をかいていると、悲鳴のような伝令。
「開場待ちのお客さまの列が建物の外まではみ出しそうだから、開場時間を早めてほしい!」とホールから要請を受けたとのこと。
「エーッ!」と信じられないという悲鳴が上がります。外はどんな様子になっているのだろう!
こんなことはこれまでの上映会を通じて初めてのことだったのだそうです。幸い、開場まで5分ほどだったので、そのまま待っていただき、1時の開場には間に合わせることができました。
当日券売り場を覗いてみると、担当の神田さんは次から次へと来てくださる当日券をお求めのお客さまを前に、米つきバッタのように対応をしてくれています。
信じられない思いと「ガイアの奇跡を信じてやろう!」と言って励ましてくれたメンバーの声が頭の中で渦巻きました。
さて開演間近。舞台裏にスタンバイして会場をモニターカメラで見ているとかなりの席が埋まっています。
会場のエンジニアの方に私の気持ちが伝わったのか、この状態だと400名近く入っていますよと、問わず語りに低い声で教えてくれます。
「ありがとうございます」そのとき心の底から全ての存在に感謝することができました。
開演前の挨拶では来場いただいた多くの方へのお礼と、私の星野さんへの想い、そしてそこから学んだ、生命や魂の存在を考えることの大切さを、昨今の青少年による悲惨な殺傷事件の多発を思い出しながら話させていただきました。
上映が始まるとスタッフはホッと一息。私は会場の後ろからそっと入って中の様子を窺うと、静まりかえった会場からは、鼻をすするような音があちこちから上がっています。わたしもスクリーンを見ながら星野さんにここまで導いてもらった幸せを感じ、ジンとくるものがありました。
〜そしてハッピーエンド〜
上映終了時には冒頭のお詫びに書かせていただいたスタッフの不手際もありましたが、無事終了。
ぜひ多くの人に読んでいただきたいと用意した星野さんの「旅をする木」の文庫本も完売しました。また、参考展示した、これまで出版されている星野さんの全書籍のコーナーでは多くの人が立ち止まって見てくださり、興味を持っていただけたのではないかと感じています。
入場者の集計では、最終的には387名の方に入場していただいたことがわかり、1週間前の状況からするとまさに「ガイアの奇跡」状態に近い結末を迎えることができました。
おかげさまで第六番制作費の一助として「ガイアネットワーク広島ステーション」の代表名で特別協賛させていただくことができました。
これは今回の上映会に来場くださった皆さまのお力添えはもちろんのこと、中島夏代さんから始まり、10年以上の間、100回以上といわれるほど、脈々と上映を続けてきていただいたこれまでのボランティアスタッフの皆さん。そして、それを観に来てくださった広島を中心とする何万人ものご来場者の皆様なくしては起こり得なかったことです。
すべてのつながりと、人と人とのご縁に感謝して0820ストーリーを終わらせていただきます。
ありがとうございました。
(土橋記)